恋愛と文学は、切っても切り離せないもの。作家志望ではない私でも、これまでに恋心を文字に起こしてみたり、文学作品と自らの恋愛経験を重ねて物思いにふけったりしたことがありました。
大田区大森駅周辺から現在の馬込にかけて「馬込文士村(まごめぶんしむら)」と呼ばれるエリアには、かつて多くの作家・芸術家が生活していたそうです。大正時代から平成時代にかけて女性作家として第一線で活躍し、恋多き作家としても知られる宇野千代と、彼女の元夫である尾﨑士郎も馬込文士村で暮らしていたとか。
作家同士の恋愛は一体どんなものだったのか、当時はどんな生活だったのか、とても気になるところ。それなら馬込文士村に行って調べてみよう!と、大森駅に向かいました。
多くの作家に愛された馬込文士村での散策を通して、明治・大正期に名を残した作家たちの意外な一面を覗き見してみましょう!
馬込文士村は、JRの大森駅から巡るルートと、都営浅草線の西馬込駅から巡るルートがあることをインターネットの情報で知り、私は大森駅からのルートを選びました。
大森駅で下車し、中央改札を出て右手にある西口から馬込文士村の散策をスタートしました。
大森駅にはファッションビルが併設され、周辺には活気を帯びた大きな商店街もあります。平日の昼間に関わらず、幅広い年代の人々で賑わいを見せていました。
一瞬、本当に文士村はあるのかな?と疑問に感じてしまいましたが、すぐにそれは杞憂だったとわかります。
人通りの激しい駅前から始まった「馬込文士村 散策のみち」。
JR大森駅西口を出てすぐの横断歩道を渡ると、長い階段が。八景天祖神社(はっけいてんそじんじゃ)に沿うようにしてあるこの階段の脇にある石垣に、早速文士村関連の展示物を発見! 馬込文士村ゆかりの作家・芸術家たちの日常を描いたレリーフです。
宇野千代、尾﨑士郎をはじめ、翻訳家の村岡花子、詩人・歌人の北原白秋といったそうそうたる顔ぶれに、一瞬ひるんでしまいそうになりますが、階段を上りながらレリーフの肖像と添えられた解説を見ていると、徐々になごやかな気持ちへと変化していきました。
というのも、仲間同士で集まって麻雀やモダンダンスに興じる風景が描かれていたからです。説明書きによると、馬込文士村が賑わいを見せた昭和初期は、文学の世界が大きな転換期を迎え、将来に不安の多い時代であったとか。それを紛らわせるためでもあったのかもしれませんが、とても楽しそう。
「歴史の教科書に載っているような有名作家でさえ意外に遊んでいた」という事実に驚きと親近感を覚えました。
男女入り混じって遊んでいる様子を見ると、きっとこんなところから発展した恋もあったんだろうなと想像してしまいました。
階段を上りきると現れる、閑静な住宅街。自分の影がどんどん短くなるほど太陽が昇っている時間帯でも、たまに住宅と住宅の間を爽やかな風が吹き抜けて、一瞬の癒しを与えてくれました。
現在の馬込文士村エリア一帯は、比較的新しいマンションや一軒家も多いのですが、いくつか歴史的な建築にも目が留まります。
かつてこの一帯は、坂の上からは海が見えて、下からはきれいな水が湧いていたことから、縄文時代から人が暮らしていたとされています。また、近代では外国人の避暑地として栄え、ホテルやリゾート施設などが建っていたそうです。
坂道が入り組みつつも、避暑地として栄えた面影を感じさせるどこか品のいい雰囲気に、避暑地として馬込を訪れた外国人や、馬込文士村を選んでここで生活をした作家たちの気持ちが少しわかるような気がしました。
散策の途中に楽しみにしていたのが、馬込文士村ゆかりの作家・芸術家をピックアップして紹介したモニュメント。
知っている作家のものを見つけると、嬉しい気持ちになりました。モニュメントで紹介されているのが知らない作家であれば、アイコンや人物紹介文から想像力を膨らませたり、活躍した時代背景や同時期の作家たちとの関係を調べてみたりしたくなりました。
「馬込文士村 散策のみち」の途中で、このような石碑を発見。大森テニスクラブは、かつて射撃場だったそうです。時代が変われば遊びも変わるのだなと感じました。
JR大森駅からここまで徒歩15分ほどですが、坂道を上ったり下りたりと隆起が激しいため、想像以上に体力が奪われました。住宅街に入るとコンビニなども少ないので、散策をしているとつい都会にいることを忘れてしまうほど。水分補給用に水筒を持って行って正解でした。
日陰を求めて、大森テニスクラブからほど近い場所にあった山王公園にも立ち寄りました。緑が生い茂り、公園の中心にはコンパクトな池が。
公園の奥にはバタフライガーデンがあり、カップルで訪れればロマンティックなムードになれそうです。
実際に白い蝶々がひらひらと数匹飛んでいて、よりメルヘンな雰囲気を醸し出していました。
馬込文士村ゆかりの作家についてさらに興味が湧いて訪れたのは、馬込文士村資料展示室です。
敷地内に入り、入り口に辿り着くまでにも上り坂が。しかし、坂を上った先には、一般の住宅のような落ち着ける雰囲気の資料展示室がありました。
資料を読むと、作家たちの人生が見えてきます。長い人生のうちの短期間を馬込文士村で過ごした作家もいれば、人生の最後まで馬込文士村で過ごす作家など、その人生はさまざまのようでした。
作家・芸術家たちの結婚・離婚などの恋愛遍歴や、実際に馬込文士村のどの辺りに住んでいたか、どのような理由で転居をしたかなどが赤裸々に記載されているのがとても興味深かったです。例えば、連続ドラマのモデルにもなった村岡花子は結婚を機に大森に住み始めたようです。哲学者・倫理学者の和辻哲郎(わつじてつろう)も同様です。
好きな人と一緒に生活を営む場所として、同業者が多く情報交換が盛んで、住環境としても住み心地がよい馬込文士村を選んだことに共感できる気もしました。
そして、宇野千代のように、好きな人と別れれば、その場所を離れるという選択をするのも、現代人の恋愛と変わらないようでした。嫌いになって別れたとしても、好きなまま別れたとしても、別れた相手との思い出が残る場所で暮らし続けるのは苦しいですからね。
所在地:東京都大田区山王3-37-11(大田区立山王会館内)
アクセス:JR「大森駅」西口から東急バス池上方面行で「山王三丁目」バス停下車徒歩約3分
JR「大森駅」西口から徒歩約10分
入館料:無料
TEL:03-3773-9216
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/bunshimurashiryoutenjishitsu.html
さらに馬込文士村ゆかりの作家・芸術家に関する情報を集めたくなって、大田区立郷土博物館に向かうことにしました。馬込文士村資料展示室から徒歩3分ほど、商店街沿いのバス停「山王三丁目」から「荏原町(えばらまち)駅入口行き」のバスに乗車。「万福寺(まんぷくじ)前」で下車し、徒歩2分ほどの場所にあります。
万福寺前でバスを降りると、道端でケンカをしているカップルとすれ違いました。「恋愛には、良いとき・悪いときがあるもんな〜」と、この日インプットした作家たちの恋愛事情と、自分自身の恋愛経験、目の前で起こったカップルのケンカに思いを馳せながら、坂道を下りました。
大田区立郷土博物館に入ると、スタッフさんが気さくな笑顔で迎え入れてくれました。馬込文士村ゆかりの作家・芸術家に関する展示は、3階からスタートするとのことで、早速向かいました。
馬込文士村に関する展示室に進むと、大きなマップの模型が。馬込ゆかりの作家・芸術家のボタンを押すと、彼らが住んでいた場所が光る仕掛けになっていました。
恋愛事情の次は、有名人の住処を覗き見…滅多にない貴重な経験を二度も経験することができました。
展示室にはさまざまな作家の作品や文章が展示されていました。中でも印象的だったのが宇野千代直筆の書簡で、「大正末期から昭和にかけてモダンガールの間で流行したボブヘアを日本で最初にしたのは私だ」といった内容が書かれていました。彼女の勢いと、当時のトレンドへの執着がうかがえます。
また、文章にはところどころ現代とは異なる古典的な表現を残しながらも、筆跡自体は現代の私たちが書いたものとほとんど差がないカジュアルなもので、宇野千代をグッと身近に感じることができました。
所在地:東京都大田区南馬込5-11-13
アクセス:JR「大森」駅北口改札(山王方面)東急バス4番乗り場の「荏原町駅入口行き」で「万福寺前」バス停下車、約150メートル(徒歩約2分)/都営浅草線「西馬込」駅東口改札から徒歩約7分
入館料:常設展は無料
TEL:03-3777-1070
https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/
馬込文士村エリア散策の最後には、尾﨑士郎・宇野千代旧居跡を訪れることにしました。
旧居跡には二人の解説が書かれたモニュメントがあります。今でこそこうやって仲良く並んでいるものの、この二人は結局離婚に至ったそうです。きっかけの一つになったのは、宇野千代と梶井基次郎との間で恋愛が噂されたためだとか。尾﨑士郎と梶井基次郎(かじいもとじろう)との間では決闘騒ぎまであったというから、ドラマチックですね。
厳しい坂道が続き、初めは来るものを拒むかのようにも感じられた馬込文士村。険しい階段の坂道から始まる明治・昭和時代へのタイムスリップは、想像以上に激動、そして華やかなものでした。
入り組んだどの道を通っても、馬込文士村ゆかりの作家・芸術家の歴史に触れることができ、学びと好奇心、情緒を同時にくすぐられる他にはない魅力的な散歩みちです。馬込文士村は、宇野千代から恋愛観を盗みたい人から、大正・昭和期の雰囲気が残る建築を発見したい人、文学・芸術的観点から大田区について学びたい人まで、幅広い目的で楽しめる場所だと感じました。
古くから景勝地として親しまれてきた、馬込・池上・洗足池一帯。地名の頭文字をとって、このエリアを「馬池洗(まいせん)」と呼びます。
大田区には、他にも「尾﨑士郎記念館」「熊谷恒子記念館(令和6年[2024年9月30日]まで休館)」「大田区立龍子(りゅうし)記念館」「山王草堂記念館」などの馬池洗ゆかりの歴史的人物についての貴重な情報に触れられる施設が充実しています。ぜひ行ってみてくださいね。
本記事のライター:岩井なな
プロフィール:
大学時代にオーストラリア、アメリカ、フランス、タイへの一人旅を経験。新しいもの、歴史を感じるものに関わらず、美しい建築に目がない。そのため、休日にはオシャレホテル宿泊、美術館や図書館巡りをして過ごしている。
現在は、東京都と富山県の2拠点生活を送る取材・インタビューライターとして、旅メディア・地域情報メディアを中心に活動。可愛いキャラクターが大好きで、大田区公式PRキャラクター「はねぴょん」がお気に入り。
監修:松本里美/三好順